ホームページ > 飛べない魔法使いのお部屋 > (3-H)『広島県福山市神辺町平野法楽寺』
『Internet Explorer』でこのページ内を検索するにはキー[Ctrl]を押したままで[F]を押します。下線部は関連する解説文等にリンクしています。リンク先から直前の文書へ戻るには[戻る]ボタンもしくはキー[Alt]を押したままで[←]を押します。このページの内容が理解できにくい場合は先ずWindowsパソコンの基本から学習して下さい。辞典はここ、IT用語はここ、サイト内検索はここをクリックして下さい。
名称 高野山真言宗
龍
池
山
法
楽
寺
仏教寺院
本山 総本山 金剛峯寺
開創 天長年間草創(西暦824年以降)
伝
御本尊
薬
師
如
来
(
瑠
璃
光
如
来
)
御真言 「オン コロコロセンダリ マトウギ ソワカ」
宗祖 弘法大師 空海
御宝号 「
南無
大師
遍照
金剛
」
いわゆる檀家寺といわれ、檀家の皆様で寺を維持しています。
真言宗の教義を広め深めていき、檀家様がご本尊様ご先祖様の御威光の中、日々幸せな生活を送られることを趣旨としています。
1月 1日 | 法楽寺新四国八十八ヶ所お大師様道初参り |
4月 | 土砂加持法会 |
8月13-15日 | お盆 |
8月20日 | 万燈供養・施餓鬼供養・献灯供養 |
12月31日 | 除夜の鐘つき法会・不要佛具のおたきあげ |
添付の写真は、クリックして再度クリックすると大きく表示できる場合があります。
更新:2024.03.05.
by ゆうゆう
上記は、法楽寺より頂いた文書と写真です。 下記は、私が調べたこと感じたことなどを記載しました。
使用しているブラウザが「Microsoft
Edge」の場合、下図[]をクリックして、[ズーム]内の拡大[+]・縮小[−]をクリックすることで可能です。
全画面表示[
]をクリックすると、文書を画面一杯に表示できます。
全画面表示でも[垂直スクロールバー]は表示されます。
文字が小さいと読むのに疲れるので、適切な状態でご覧ください。
全画面表示から元に戻すには、キー[F11]を押します。
ノートパソコンの場合は、キー[Fn]を押したままできー[F11]を押します。
全画面表示で[メニューバー]を表示するには、マウスカーソルを画面上部に移動します。
法楽寺に行くと、お地蔵さまが目につきました。
足元には数えきれない多くの水子地蔵様が並んでいて、魂に響くものがありました。
そこで、お地蔵さまを調べたり、仏様について調べてみました。
( 法楽寺
福山市神辺町平野500番地 )
地蔵菩薩と水子地蔵
写真をクリックして拡大表示すれば、下に[水平スクロールバー]が表示されるばあいもあり、多くの水子地蔵様を確かめることができます。
広島県福山市で水子供養のできるお寺の法楽寺。 下図は法楽寺の地蔵菩薩です。
赤ちゃんは、とても清らかで純粋な存在です。この世に生まれ出ることができなかった赤ちゃんも、幼くして亡くなった赤ちゃんも、この世の汚れを知らない純真無垢なままなので、体や心の欲望、他者への怒りなどは一切なく、優しさと慈愛に満ちあふれた、仏さまのような心を持っています。 供養はお地蔵さまにおまかせし、自分自身の過ちや失敗を責めないで、このような赤ちゃんに会えたことに感謝して下さい。 赤ちゃんはあなたのことを、今も、愛おしく愛おしく思っています。
福山市神辺歴史民俗資料館 > 施設の概要 > 神辺の寺院について > 神辺の寺院
高野山 真言宗 龍池山 法楽寺 (←上記サイト内で法楽寺の解説が有ります。)
福山市神辺町平野500 法楽寺 ←Googleマップにリンク
上記、Googleマップのリンクを開いた下図内の写真をクリックすると「大日如来」など、多くの写真を見れます。
上記で下図のように写真を見て戻るには下図赤枠の[戻る]ボタンをクリックします。
お寺で拝むのは、仏様です。
お寺でのお参りは合掌が基本です。
神社のように拍手を打ちません。
まずは日頃の感謝の気持ちを仏様に伝えてから、祈願をすることが大切です。
真言密教でも日本神道でも、どう云えば良いか私には解らないが、過去も未来も現在にあると考えられているからです。
寺院での参拝は敬う(うやまう)素直な気持ちで、心を込めて作法に沿ってお参りすれば、清々しい気分になって、きっといいことがあるはずです。
※ 仏様には、
大きく分けると、「如来」「菩薩」「明王」「天部」「垂迹」の5種類があります。
※ 清々(すがすがしい)
けがれがなく、すっきりとして気持ちがいいこと。
1.山門をくぐる
山門(さんもん)の前で合掌して一礼をします。敷居を踏まずに右足からまたいで、くぐります。
山門は私たち俗界との境界です。
2.手水舎で清める (ない場合は省略します。)
手と口を清めるところです。
清める順番は、左手、右手、口、左手で、神道と同じです。
1.手水舎に一礼をします。
2.右手で柄杓(ひしゃく) を取って、手水をすくい左手にかけます。
3.左手に柄杓を持ち替えて、手水をすくい右手にかけます。
4.右手に柄杓を持ち替えて、手水をすくって、左手の手のひらに水をためて水を口に含みます。
5.音を立てずに軽くゆすいで、左手で口を隠して、水を静かにはき出します。
6.そして、もう一度、口につけた左手を清めます。
7.最後に柄杓を立てて柄杓の柄に水を流しして、手でもったところを洗い流します。
8.柄杓を元の位置に戻し、手水舎に一礼をします。
3.梵鐘(ぼんしょう)を撞(つ)く
自由に撞けるお寺の場合、お参りの前に撞きます。
撞木(しゅもく=鐘を撞く棒)を 2,3回振って振り子の力で撞きます。あまり強くしないこと。
お寺から出るときは決して撞いてはなりません。お寺から出るときに撞くと「出鐘」と言い、死者を送るときの鐘とされているからです。
4.お参りをする。(進行方向左側を歩いて本堂に向かいます。)
寺院でのお参りでは、数珠を持参して合掌するとよいでしょう。
1.一礼をして、お賽銭をそっと入れます。お布施の意味です。金額は自分の気持ちです。
2.本堂の前にある鈴緒(すずお)を引いて鰐口(わにぐち)を鳴らします。
3.後の方が火傷しないようにろうそくは奥からお供えし、身を清めるためにお線香も中央からを焚きます。 (ない場合は省略します。)
4.胸の前で合掌し、お参り(祈願、読経)を致します。
5.一礼をします。
5.納経所に行って、祈祷料や御朱印代などを納めます。 お写経を納め納経受領印を受けます。 法力を身につけた僧侶に祈祷を依頼したり、御朱印を書いていただきます。(お寺によっては、祈祷のお願いや御朱印等が頂けない場合もあります。)
6.お地蔵さん観音さん等を、お参りになり仏様からご縁を頂きましょう。
7.帰る。
左側を歩き山門を出る前に本堂に向かって一礼して、くぐります。
真言密教の教主である仏様であり、密教の信仰対象であるご本尊。
現世に釈迦如来を送り出す大本の如来で、大いなる宇宙的存在である大日如来(摩訶盧舎那仏)の一部が、人間のサイズに縮小し現れたのが釈迦如来です。
あらゆる仏、一切の生命や形あるものは大日如来を根源として現出し、真理そのものだとしています。
全ての神仏は「大日如来」が姿・形を変えた化身とされています。
大日如来のご真言:「おん あびらうんけん ばざら だとばん」
真言とは、
神秘的、呪術的な効果をもつと信じられていることばで、呪文です。
これを唱えることによって仏様の持つ霊力を授かると考えられています。
さすがに、お経を呪文とは書けないが、Web
上には真言について多くの解説があり、けむに巻くような文書もあります。
書く方も大変だろうが、読む方も閉口します。
もともとは原梵語の深い意味をそのまま伝えるために中国で漢字に音写したものです。
古代日本では、ことばにやどると信じられていた不思議な力を言霊(ことだま)と云い。
発せられたことばの内容どおりの状態を実現する力があると信じられていました。
大日如来の化身とも言われ、優しさだけでは通用しない人々や邪悪な相手には徹底的に厳しく、間違った道へ進まないようにさとす仏様です。
一般的には右手に襲い掛かる罪悪を薙ぎ払う宝剣、左手に衆生救済の象徴とされる羂索(けんさく)と呼ばれる縄を持ち、忿怒(ふんぬ)相といういわゆる「怖い顔」で造像されます。
この忿怒相には敵に対する威嚇の他、愛の鞭とも言える叱咤(しった)の意味合いも込められています。
背中には煩悩を焼く炎を背負い、剣で迷いや煩悩を斬り払い、羂索で衆生を救います。
即ち、人の過ちや失敗を全て取り除き、身も心も汚れていない仏様と同じ清らかな状態にして下さいます。
不動明王のご真言:「ノウマク サンマンダ バザラ ダン センダ マカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン」
薬師如来
如来とは、人間が解脱し悟りを開いた状態を指しますから、薬師如来も「悟りを開いた人物の一人」という事になります。
薬壺を持ち病気を治す仏様として知られる如来です。
阿弥陀如来が死後来世の平穏を司る仏様なのに対して、薬師如来は生まれる前の世界から送り出してくれる仏様で、現世での苦しみを取り除き安泰を司る仏様でもあリます。
薬師如来のご真言:「オンコロコロ センダリマトウギ ソワカ」
※ 解脱【げだつ】
本能に基づく迷いに心を縛られている状態から脱して自由になること。
※ 悟り
自分の運命などについて生死を超えた永遠の真の意味をはっきりと理解すること。
南無大師遍照金剛とは、
弘法大師 空海の教えに沿って生きていくという意味です。
遍照金剛とは、空海が唐に留学し、真言密教を極めた時の灌頂名で、遍照金剛は、大日如来の別名でもあります。
灌頂(かんじょう)とは、水を頭から注いで、悟りを開いたことを証する仏教の儀式です。
空海は、輪廻転生を繰り返す果てしなく長い修行の末に成仏へと至る他の仏教に対し、日本神道と仏教を融合させ、真言密教では、現世でこの肉体を持ったまま一気に仏(大日如来)の境地に至ることが可能である「即身成仏」を説ききました。
即ち、すべてのものは大日如来が姿を変えたものであり、人も仏も本質的には同じである。
すべての人はその中に仏性を備えており、本来もっている仏性に目覚めれば、生きながらにして仏の境地に至ることができるというのが真言密教の教えです。
地蔵菩薩
菩薩とは
如来になるために修行中の仏様です。
お釈迦様と弥勒如来の間の如来のいない世界を救うのが菩薩です。
「地」は、種子をまけば花も実も生長するように万物の生ずるところが土地であり、「蔵」はそうした万物を保存するところであるとされ、地蔵菩薩は『すべての生き物を救済する偉大な功力を蔵すること大地のごとし』という意味から地蔵と名づけられています。
地獄に落ちた人をも救います。子供の守り神でもあり、安産の祈願、水子のあの世での幸せを祈るすべての行為や、人のあらゆる苦しみを代わってくれる菩薩でもあります。
地蔵菩薩のご真言:「おん かかか びさんまえい そわか」
観音菩薩
『観音経』や『般若心経』などに登場する菩薩の一尊(いっそん)。
如来になるために修行中の身で、世の中のありとあらゆる人を救うために様々な姿に変身します。
本来は男性であったと考えられていますが、美しい女性の姿の像が多く作られています。
観音様・観世音菩薩・観自在菩薩ともいわれます。 福山市山野町には子授けで評判の『馬乗り観音』があります。
法楽寺には観音様の立像があります。
法楽寺先々代の住職から母が頂いた『観音菩薩』を掛け軸に表装していただきました。
下図を一度クリックして表示された画像を再度クリックすると大きく表示される場合があります。 全画面表示にすると、画面上部のメニューバーがなくなります。
ご真言を唱えて、どうぞ観音様のご利益をお受けください。
観音菩薩のご真言:「おん あろりきゃ そわか」
(2804) 【観音経】妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五 日蓮宗や真言宗のお経 - YouTube
真言宗お経 【仏前勤行次第】ぶつぜん ごんぎょう 蓮和尚 生蓮寺
上記『仏前勤行次第』の前に、最初に、「三信条」が記載されている。
最初からチンプンカンプンで解らない。
初めがこうだから、当然読み進めると同様に、仏教用語の羅列で、他の方はどうか知らないが、私は読む気力をなくします。
「三信条」を調べてみたら、「備後國分寺」住職の解説を見つけたので下記に紹介します。
『三信条に因んで -
住職のひとりごと』
土砂加持法会、万燈供養(まんどうくよう)、施餓鬼供養真言宗、献灯供養、除夜の鐘つき法会。
お経とは、
仏教でお経というのは、お釈迦さまの説かれた教えを、お弟子が記録したものです。
お釈迦様は悟りを開いたので尊敬の念を込めて、仏陀(ブッダ)と呼ばれています。
どのお経にも共通していえるのは、お経に説かれている内容は、お釈迦さまのさとりの内容です。
お釈迦さまは、「永遠に変わらない、本当の幸せ」について話しています。
これは、本来は言葉にできない世界です。
人は、言葉で物事を伝え、言葉で考えます。
言葉にできないことは伝えられないし、考えられません。
だから仏陀は、何億年かかっても説き尽くすことはできないといわれています。
ですが、言葉に出来ないからといって言葉を遣わなければ伝えることができません。
私たちとしては、本当の幸せが正しく理解できなければ、正しく求めることもできません。
正しく求めることができなければ、本当の幸せになることもできないので、非常に重要なことです。
それでブッダは、本来は言葉にできない本当の幸せを、
「どうしたら分かってもらえるだろうか」と、夫れぞれの人に合わせ、言葉を尽くして説かれたのが仏教です。
それだけ深い境地を説き明かそうとされているのがお経なので、一切経七千余巻といわれる膨大なお経になっています。
日本のお経のもともとは、文盲の多い時代にインドの古い言葉「サンスクリット語」(Sanskrit)の音写です。
中国では当然、漢字で書かれました。
音写ですから漢字自体に特に意味はありません。
最初は呉音(長江流域、三国志の呉国辺りの読み方)で伝わりました。
後に、これは地方の言語だと判って、途中から漢音(唐の都、長安付近の読み方)に変わりました。
だから、これを棒読みされたお経を、聞いても読んでもチンプンカンプン解りませんが、お経の意味がわからなくても、
お経を読んだり聞いたりするだけで、その経文と同じ功徳やご利益が得られる。
とされています。
摩尼車(マニぐるま)
チベット発祥の仏具で、転経器とも呼ばれます。心を込めて一度回すと、摩尼車の経文を一回読むことと同じ功徳があるといいます。
転読について、
法楽寺先代の住職から、「転読」について聴いていたことを思い出したので検索してみました。
「大應寺」(富士見市)では「大般若会」(だいはんにゃえ)があります。
「大般若会」とは、『大般若経』(『大般若波羅蜜多経』・『般若経』)というお経600巻を読み上げる法要です。
転読(てんどく)といって、お経の題のところだけ大きな声で読み上げて、お経を上にあげ下に垂らしてゆき、読んだ事にするというやり方です。
まず、お導師様が第1巻を転読します。
【大般若波羅蜜多経巻第一 唐三蔵法師 玄奘 奉詔譯】
「だ〜いはんにゃはらみったきょうかんだいいち とうのさんぞうほうし ぶじょうや〜く」と大声でお唱えします。
すると、その他のお坊さんが、続いてそれぞれに割り当てられたお経を転読します。
大変な迫力があります。
このときに起こる風にあたると、家内安全、身体健全などのご利益をいただけると昔から言い伝えられています。
住職の話や、書かれた文書には仏教用語が並んでいる場合があります。
仏教関連の言葉は、わかりにくい場合が多すぎて困ります。
生活してゆくのが精いっぱいの我々には、仏教用語など学習する余裕はありません。
一つの言葉がわからなければ、話や文書全体が理解できないこともあります。上記『大般若経』600巻を要約されたものが『般若心経』です。
般若心経を
ひろさちや様の書かれた解説文は、凡人向けに、これ以上無理といえるほどかみ砕いて書かれているそうです。
しかし会得しなければ理解できない『空』等もあります。
『般若心経』で一番大切なことは、『色即是空 空即是色』(「形あるものは形ないものと同じ、逆もまた然り」)です。
空というのは『一時的な仮の存在や現象ではあり得ても、決して永遠でもなければ実体でもない』
ということなのです。
この世のあらゆる存在や現象が、この様に実体なきものである事を見抜いたときに、初めて迷いの世界から悟りの世界へと到達することが出来ることになります。
言葉では著せない『空』を会得するには、日本人なら必要ないと思うが気になる方は、先ず九字を切ります。
目を閉じ、結跏趺坐(けっかふざ)か正座もしくは胡坐で座ります。
(椅子にこし掛けるのは危険です。)
手は膝に置き、眉間等に意識を集中して、5〜15秒間息を吸って、5〜15秒間止めて、5〜15秒間吐くを、無理しないで長い方が良いが同じ間隔で繰り返す呼吸法を45分以上繰り返しているうちに、青白い光が見えてきたら光に意識を集中します。
初めのうちは意識の集中を持続することは難しいが、段々できるようになります。
時間に余裕がある時に何度かこれを繰り返しているうちに、やがて背すじがピンと伸びて、重力を感じなくなります。
止め処なく涙が出てくる場合もあり、チャクラが見える場合もあり、身体から自分が抜け出して上空に飛び上がる場合もあります。
やがて 『空』を理解できるようになります。
『空』は努力によって理解できるものではなく、情熱を持ち続けると向こうからやってくるものです。
時間を費やすことなく理解できる人もいます。
※ 空を無といわれる場合もありますが、空は器があって中身がないこと、無は何もないといえるそうです。
※ 幽体離脱したときは、驚かないで下さい。 何処までも伸びるシルバーコードで繋がっていますからと、いわれていますが、私的には、物理的なコードではなく意識で繋がっていると思えます。
※ 上記45分以上これこそが鍵となる重要なことです。 時間の取れる時に実施して下さい。
NHKの大河ドラマ「篤姫」を見て「一方聞いて沙汰するな」が記憶に残っています。
片方の言い分だけ聞いて物事を判断するなという意味です。
ここでは、6世紀頃に日本に伝わったとされる仏教に関することついて検索してきました。
江戸時代の大名の家臣には役職などを記載した「分限帳(ぶげんちょう・ぶんげんちょう)」があり、寺請制度のもと、お寺が今でいう役所のような役割を果たしており、「宗門人別改帳(宗門人別帳・宗門改帳)」があって、過去帳も重要な管理機能を持ち、後に廃仏毀釈の原因ともなる檀家制度が誕生しました。
ユダヤ教から70年ごろ自立したキリスト教は、唯一の神が三つの姿となって現れた、天の神とその子キリストとその不思議な力を信じる宗教です。
日本では 1550年伝来し迫害の歴史がある。
豊臣秀吉は西欧列強による植民地化を防ぐ目的があって1587年に「伴天連追放令」を出した。
1637年には 2万人を超えるキリシタンが蜂起した「島原・天草一揆」が起こる。
日本には古くから神道があります。
神道では、仏教の経典や、キリスト教の聖書のようなものはありません。
神道の祭祀では言霊により現実や未来を変える力があるとされる祝詞(のりと)が神職の方により奏上(そうじょう)されます。
神道では宇宙が誕生し混沌として泡のような時に、造化三神が次々に現れては姿を隠します。
最初に全ての神々の根源である天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が現れ、次に万物を生み出す高御産巣日神(たかみむすびのかみ)そして万物を育てる神産巣日神(かむむすびのかみ)と現れては姿を隠します。
過去と未来は現在で融合していることを表しているともいえます。
日本神道はここから始まって系図があります。 神様は、日本の島々を作り、日本人の祖先であり、日本には氏神様があります。
仏教伝来は五三八年説をとる見解が一般的で、仏教が日本で受け入れられたのは、神様が人間界に現れるとき、全てのものを依り代とすると考えられていたからだと思えます。
江戸時代後期の廃仏運動、明治期の神仏分離は政治によるが、廃仏毀釈は草の根によるものといえます。
明治4年(1871年)頃には終息し、同年正月5日(1871年2月23日)付太政官布告で寺社領上知令が布告され、境内を除き寺や神社の領地を国が接収しました。
明治天皇と日露戦争、
大東亜戦争前のアジアでは、ソ連が南下し、中国は混乱。フランスはインドネシアを抑え、イギリスはインド、ビルマ、マレー半島に居座りました。
オランダはインドネシアを奪い、アメリカはフィリピンを占領し、有色人種の住む地域は植民地とされてゆきました。
日本は八方から攻められ、話し合いでは解決できない状態に追い込まれてゆきます。
そして日本は戦争に進み敗退するも、大東亜戦争の目的である人種差別をなくし、欧米の植民地を独立へ導くことを中野学校出身者らにより達成しました。
いつの時代も戦勝国が、歴史を書き換えてきました。 アメリカの日本全国無差別爆撃・広島長崎へ原爆投下、北海道を守った占守島の戦い 樋口季一郎、戦勝国アメリカによる東京裁判、神道と天皇の歴史書(7000冊以上)を焚書(ふんしょ)、教科書からも抹消させられました。
廃仏毀釈後も今の仏教があるのは、GHQによる焚書の所為かもしれません。
せっかく時間をかけて調べたので、メモ書きとして残しました。
ここでは『般若心経』の現代語訳などについても記載しましたが、古いことなので、定かとは言えないも『般若心経』は、中国のお坊さん玄奘(げんじょう)が『大般若波羅蜜多経』という全600巻、文字総数600万という、あまりにも膨大な文章を276文字にまとめたお経のことです。
他にも現代語訳されたお経の書籍は多くあります。お経に興味のわいた人は書籍やネットでさまざまな解釈にふれてみる事をお勧めします。 経典読誦の本来の意味は、単に儀式に用いたり暗誦することにあるのではなく、経典の内容を理解し、そこに述べてあることを自らが実践しようと決心する事こそが大切でしょう。
「YuTube」では、【宇宙一わかる仏教解説】等がありました。
お経や真言を唱えたり、仏画や仏像を拝んだり、写経や写仏をしたり、お寺に参拝して祈願したり、法力を身につけた僧侶に祈祷していただいたり、仏様に感謝出来ることで、幸せという贈り物がいただけます。
自分自身にも生まれた時には仏様のような純真な心があったように、もともと具わっている仏様のような力を信じて、嫌なことや悪いことは自分を成長させるチャンスですから、勇気をもって仏様の様に生きてゆけるように、仏様に接する機会を持つようにしましょう。
優しさだけでは通用しない人々もいます。 当然、降りかかる火の粉は払わねばならぬ。
今生きてゆくために努力を続けることが大切です。
仏様にご縁をいただいたら、あらゆる仏様、一切の生命や形あるものの根源である大日如来と自分が一体であるよう合掌することで、きっと良い贈り物がいただけると思います。
ここに記載した内容について誤りがあれば、下図をクリックして、正誤の記載されたメールをいただけると嬉しいです。