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『神楽(古典の裏側)』
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更新日付 : 2007年07月19日
神楽(古典の裏側)
ゆうゆうの見た「吉備津舞」
by ゆうゆう
いつものように、ゆうゆうが魔女の『キキ』におんぶされて夕暮れの赤い空を飛んでいいると、賑やかな笛や太鼓の音が聞こえてきました。そーっと下に降りてお婆ちゃんの隣に座りました。お婆ちゃんに尋ねたら「今丁度『吉備津舞』が始まったところ、これは備中神楽だよ」と教えて呉れました。
備中神楽は貴方の一生を、注連縄で囲まれた8畳+2畳の畳の舞台一杯にに描きます。吉備津舞では、里をを荒らしまわる鬼の温羅が出てきます。この鬼の温羅は映画等では政治家やお役人であったりしますが、実は貴方自身なのです。東南アジアで養殖された海老を食べたことがあリますか?。大量の米を生産できた水田で養殖された海老なのです。結果論ですがこの水田は7〜10年で海老も米も取れない湿地に変わってしまい、収入源を断たれる家族が発生します。更に日本の森林面積の約半分のマングローブの森が1年で消えて海老の養殖場となります。
まるで掛け合い漫才を見ているようで観客が拍手喝采する事もあれば、恵比須様が登場してお菓子を観客に投げ与える事もあります。後ろの方にいた観客には神社総代というお年寄りがお菓子やお餅を配っていました。人を呪わば穴二つと云う事も聞くが逆も又真なり、ゆうゆうもお菓子を頂き、途端に幸せを感じたから不思議ですね。因果の法則を解りやすく解いています。幸せとは
・・・
と、いくら言葉で説明されても解りませんが、幸せとは体で感じることなんですね。テレビで神様がいるとかいないとか言い争っていた番組がありましたが、神様は体で感じるものなのです。神様・仏様に遭遇できるように勤める(実践する)ことで神様・仏様にあえるのであって、多くの富や多くの知識を得たり、膨大な教典を学習する事で神様・仏様を知ることも見ることも出来ません。有識者と云われる方々の発言も有ったが、たった数行で説明できることに結論を出せず終わってしまいました。実践する事で理解できることを言葉で説明しても理解してもらえません。たった数行の説明で足る場合も有れば、幾ら説明しても(数万巻の教典を読んでも)解らない人には解りません。神楽は凡人に解りやすく数万巻の教典より優れているのかも知れません。言霊は否定しませんが読む人が理解できない文書は優れているとは云えないでしょう。
神楽の歴史は古く人類誕生まで遡るとそこに原形を発見できるかも知れません。随分古くから日本でおこなわれ、現在でも神社境内の神楽殿や民家などで祈祷の後に行われています。レーザー光線が乱舞する近代的な神楽もあり、海外でも活躍している神楽団もあります。笛太鼓などの音楽をともなう神事舞で、過去も未来も時代に合わせて変わって行くのが神楽です。
『神楽の発生は、日本にまだ仏教などの宗教が渡来しない古代、人々が集まって清らかな土地に神座をもうけて神をおろし、中心となる人の長寿・幸福を祈り、ぬけでようとする魂を体内にしずめようとする「鎮魂」や、新しい強力な魂を招いて生命力を強めようとする「招魂」の呪術をおこなったことに由来しています。語源については「神座」の約音とする説があり、「神楽」という字は、平安時代中期に、中国渡来の雅楽などの名称に影響されて、神事の楽の意に用いられたものと言われています。神楽は、民族の古い信仰に発し、古くは一定の形式のないもので、それが芸能としての形式を取り、各時代の歌謡や、舞・能・外来楽・掛け合い漫才・(己に克ち他に対するいたわりのある心を養う)武道をも摂取して、神事の内容を豊かにし、古い信仰の形式や、各種の芸能様式と内容を今日に伝える文化史上からも貴重な神事芸能です。このように神楽の歴史は古く、土地土地の古風な神事と結びつき、実際は舞楽あるいは田楽と呼ぶべきものを、奉納舞という意味で神楽または太々神楽と呼んでいるところもあり、神楽の実体は一様ではないようです。宮廷内侍所の御神楽に対して民間のものを里神楽と呼びます。』←(『』内日本百科大事典より)神楽本来の目的である既成概念の殻から抜けだし、神と同一の時限に至り知恵と力を得るために、仏教では呼吸法からはいる静的に対して、神楽は動的な舞を手段に不随意領域の入り口である意識の集中手順を今に伝えています。今日に至っても古代の神楽そのものを舞台にそのまま見せる神楽は神懸かりして神の言葉を告げる岡山県の巫女神楽といえるでしょう。『現在日本の津々浦々に分布している神楽は、出雲佐陀大社の御座替の神事から発したと云われる出雲流の神楽であり、岩戸神楽・神代神楽・一二神楽・二五座の神楽・太々神楽などの名で呼ばれています。』←(『』内日本百科大事典より)
古典は長い歴史の中で時代の権力者に都合の悪い部分は書き換えられて現在に至っています。旧約聖書には人に出来ない事をなし得た聖人や人は神の子と言える表現があリます。西遊記は、実は仏教に付いて語っているのではなく読み方によれば知る人ぞ知る仙道の奥義書でもあり、神楽は古神道の奥義書とも言えるのではないでしょうか。神楽は舞台にあなたの一生を描きます。先ず最初にあなたは神の子孫ニニギの命であると云います。岩戸開きはあなたの誕生を、吉備津舞はあなた自身を鬼の温羅にたとえて生きるということは殺生と、たとえ合法といえども略奪の繰り返しであることを訴えます。恵比須様は難解な因果の法則を解りやすく説きます。須佐之男の命では八カ所のチャクラと凡人に見えない気を大蛇にたとえ、尻尾にはクンダリニーを覚醒させる諸刃の剣があることを教え、人生の最終目的や輪廻についても語ります。このように神楽はあなた自身の一生を、ユーモアあふれる笑いの中に、ときには急テンポな高鳴りの中に、あるいはこっけいにと、バラエティーに富んで舞台いっぱいに繰り広げます。是非機会があれば文献にみえない古代より延々と続いてきた日本の歴史をこの神楽から学び、神と同一時限に至る糸口を発見し、何事にも情熱を傾注して人は神の子と言われる語源を体験し、実践して頂きたいものです。
参考文献:
日本百科大事典(小学館)
神楽の紹介されているサイトは数多く、神楽の起原・神事・儀式などについて書かれているサイトが神楽団のCMに埋もれてしまっています。ここでは神楽について上記『日本百科大事典(小学館)』を参考にさせて頂きました。大変な経費と時間を費やして編集された大事典ですが、安価に提供下さったので全巻揃えることが出来ました。小学館殿に感謝いたします。
【参考資料】
日本の神楽に見ることのできる古神道(原始神道)や、タイの仏教、ネパールのヒンドゥー教?の様に宗派毎の争いが起きにくいような宗教に付いて知りたい場合は下記などを参照下さい。
神楽古語集
http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-sato/index11.html
神
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』はリンクが直ぐ外れるのでGoogleの検索から探して下さい。)
http://www.google.com/search?hl=ja&q=%E7%A5%9E&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
大日如来:
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/dainichi.htm
至福の境地や目から鱗(新約聖書使徒行伝九章)の体験をしたい方は下記を参照下さい。
../watatumi/watatumi.htm
ユダヤ教の背景の教えである「タルームード」の実体:
http://hiroshima.cool.ne.jp/h_sinobu/yudayatarumudo1.html
ユダヤの教え(タルムード学)
http://www6.igosoft.co.jp/rl/infodat/column/talmud.asp
『ワンクリック料金請求にご用心』:
警視庁ホームページ>情報セキュリティ広場>ネット犯罪対策>
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/haiteku/haiteku/haiteku35.htm
“追伸”
当ページに書かれた単語・文字列などを検索エンジンで検索すると危険な宗教団体や小道具を販売しているサイトが表示される場合もあリます。文中の鬼や◯◯のように貴方の心に問い掛けてくるWebページがあるかも知れません。当ページはこれらのサイトには何の関係もありません。「あの親にしてこの子有り」と云われる事もあり、人は過ちを繰り返すものですから宗教は大切です。周囲の環境や長い人生で歪められた思考回路を正しく修正されるのは結構ですが、宗教団体や小道具には嵌らないように注意して下さい。一部の宗派を否定しているわけでは有りませんが宗派は時代の流れの中で一部の人が都合の良いように作り替えた部分があリ、のめり込む前に総合的に宗教について知っておく必要があリます。
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